大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和55年(ワ)723号 判決

原告 岡田重雄

被告 稲取正晴 外一名

主文

一  被告らは原告に対し岡田多美子(本籍千葉県船橋市○○○×丁目×××番地、昭和四八年一月一日生)を引渡せ。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  主位的申立

(一) 主文一項と同旨

(二) 被告らは各自原告に対し一〇〇万円及びこれに対する昭和五七年二月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え

(三) 訴訟費用は被告らの負担とする。

(四) (二)につき仮執行の宣言

2  1(一)の請求が認められない場合の予備的申立被告らは、原告が岡田多美子に対して監護、教育し、埼玉県三郷市○○×丁目××番××-×××号の原告自宅に居住させるなど親権者及び監護権を行使することを妨害してはならない。

二  被告ら

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告稲取宏子(以下「被告宏子」という。)は、昭和四〇年一一月九日、婚姻し(本籍地船橋市○○○×丁目×××番地)、長男智明(昭和四一年一二月一六日生)、長女多美子(昭和四八年一月一日生)、二男和明(昭和四九年四月一〇日生)をもうけたが、昭和五三年一一月一三日右三人の子の親権者及び監護者を原告と定めて協議離婚した。

2  原告は三人の子と肩書住所地に同居し、親権者としてその監護、教育に当つてきた。被告らは、昭和五四年六月二三日婚姻したが、同年八月二七日原告の意思に反して多美子を連れ去り、以来被告らの肩書住所地に居住せしめ、原告が多美子の引渡を求めても応じようとせず、原告が同人を監護、教育する等同人に対する親権を行使することを妨げている。

3  原告は被告らに対し、度々多美子の引渡しを求めたが、被告らに拒まれたため、昭和五四年一〇月一八日東京家庭裁判所に調停の申立をなしたものの不調に終り、本件訴訟を提起することを余儀なくされ、その間多大の経済的及び精神的な負担を強いられた。これによつて被る原告の苦痛に対する慰藉料は一〇〇万円を下らない。

よつて、原告は、被告らに対し、親権に基づき、主位的に多美子の引渡を求め、予備的に原告が多美子を監護、教育し、原告の肩書住所地に居住させること等親権を行使することを妨害しないことを求めるとともに、右各請求にあわせて親権の侵害に対する不法行為による損害賠償として慰藉料一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年二月二六日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。同2の事実のうち、被告らが昭和五四年六月二三日婚姻をしたこと、被告らが同年八月二七日以来多美子を自宅に引取つていることは認め、その余は否認する。同3の事実のうち、被告らが原告の多美子の引渡請求を拒んだこと、原告が同年一〇月一八日東京家庭裁判所に調停を申立て、右調停が不調に終つた後本件訴訟を提起したことは認め、その余は不知。

三  抗弁

1  被告らが多美子を養育することになつた経緯

(一) 原告と被告稲取正晴(以下「被告正晴」という。)は、原告と被告宏子が夫婦であつた頃、隣りに居住していたものであるが、被告正晴の先妻が、同被告と当時原告の妻であつた被告宏子との関係を邪推し、原告もそれに同調したため、原告と被告宏子間の夫婦関係が破綻し、結局原告と被告宏子は離婚し、被告らは結婚するに至つた。被告宏子は原告と離婚前から被告正晴と同棲していたため、原告からこれを不貞行為と責められ、原告のいうがままに、三人の子の親権者を原告と定めることに泣く思いで承諾した。

(二) 被告宏子はその後、原告のもとにいる子供たちが、冬でも薄物しか着せられていないこと、原告が消防署勤務であるため夜勤がしばしばあり、そのたびに子供三人だけですごしていることを友人から知らされたので、いたたまれない気持で子供達に会いに行くようになつた。

そして、昭和五四年一月から三月にかけて被告らと原告は、子供のことについて三〇回位にわたり話合つた。この話合いの間にも子供が病気の時などは原告が面倒を見られないため病気の子は被告らが預り、面倒をみたこともあつた。右話合いの結果、同年四月から被告らが三人の子を引取り、養育することになつた。しかし長男智明(当時中学一年)は、やはり原告のもとで生活したいと申出たため、被告らは子の意思を尊重し、同年六月同人を原告のもとに帰した。

(三) その後も長女多美子と次男和明は被告らのもとで生活していたが、突如原告は同年七月二五日、被告のもとから右両名を連れ去り、被告らが話合いを求めるもとり合わなかつた。

この頃になると被告正晴も多美子と和明に対して、真のわが子のような愛情を持つに至つていた。

そこで同年八月上旬、再度被告らは原告のもとを訪れると原告は留守であつたが、多美子が在宅していたので、同人に質したところ、「お母さんと一緒に暮したい」と述べたため、原告宅に居合わせた見知らぬ女性に断つて多美子を自宅に連れ帰つた。

すると数日後、またしても原告は多美子を連れ去つたが、被告らは、原告が多美子と和明を群馬県に住んでいる原告の姉のところに預けたことを知り、同年八月二七日群馬県の原告の姉方を訪ね、同人に断つて多美子と和明を被告らのもとに連れ帰つた。

(四) その後も、原告は子の引取りを強く主張するので、被告らはやむなく、前記調停手続中である昭和五五年五月和明を原告のもとにかえした。しかし、多美子は被告らとの同居を強く希望して原告のもとに帰ることを嫌つているため、被告らは子の意思を尊重し、現在に至るまで同人を養育しているのである。

2  右に述べたように、原告は、その職業柄夜勤が多く、男手一つであるから、子供を健全に養育することができないことは明らかである。一方、被告らは愛情をもつて多美子を養育しており、同人も被告らを慕い、被告らのもとから通学してすくすくと素直に成長している。

かような事情を勘案すれば、被告らが多美子の親権者でも監護者でもないとしても、被告らが養育するほうが同人にとつて幸せであるし、また、現在すでに小学四年生である同人の意思を尊重する限り、被告らが同人を引取り養育することは許容されるべきであつて、もとよりそのことが原告の親権を侵害する不法行為を構成するものではない。むしろ、戸籍上の親権者であることを盾にして、多美子の引渡しを求める原告の請求は権利の濫用というべきである。

四  抗弁に対する認否及び反論

1  抗弁1の(一)の事実のうち、原告と被告宏子が夫婦であつたが、その間三人の子の親権者を原告と定めて協議離婚し、被告らが結婚したことは認めるが、その余は不知。

同(二)の事実のうち、原、被告間で昭和五四年一月から三月にかけて子の引渡しについて話合いが行なわれたこと(但し回数は争う)、三人の子が同年四月被告らのもとに行き、長男が同年六月原告方に戻つたことは認めるが、その余は否認する。原告が三人の子を被告らのもとに預けたのは、原告と被告らといずれの方が子の成長環境としてすぐれているかを判断するための試みのためであつた。

同(三)の事実のうち、原告が昭和五四年七月二五日頃、多美子、和明を連れ戻し、被告らが同年八月上旬原告宅から多美子を連れ去り、原告が数日後多美子を連れ戻し、更に被告らが同月二七日原告の姉のもとに預けてあつた多美子と和明を連れ去つたことは認める。原告が七月二五日頃多美子と和明を連れ戻したのは前記のように三人の子が被告ら方に預けた後の四月中旬頃、被告正晴から「下の二人はいらない。」と言われたからである。また、原告が同年八月上旬多美子を連れ戻したのは、被告らが多美子を欺罔手段によつて連れ去つたからであり、原告は右連れ戻しの際被告宏子の母親の承諾を得ているのである。これに対し、被告らは同年八月二七日に被告らが原告の姉のもとに預けてあつた多美子、和明を同人らが嫌がるにもかかわらず連れ去つたのである。

同(四)の事実のうち、被告らが昭和五五年五月和明を原告のもとへかえしたことは認め、その余は否認する。

2  抗弁2の事実は否認する。

3  被告らは、子ぼんのうな原告に対する嫌がらせで多美子を連れ去つたのであり、このような被告らに多美子の養育を委ねることは全く危険である。しかも被告ら夫婦間には子が誕生し、多美子が冷遇されることは目に見えている。被告らは、原告の勤務体制から子供の養育に不向きだと言うが、原告は子供らを養育する為の多くの助力者を得ている。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

本訴は、右のように離婚の際合意により婚姻中に生まれた子の親権者及び監護者と定められた夫婦の一方が提起した右親権の行使についての妨害排除請求であるから、その相手方がかつての配偶者であろうと第三者であろうと、右請求は民事訴訟の対象となるものと解すべきである。そして、かように原告が現に多美子の親権者である以上、特段の事情がない限り、親権者でも監護者でもない被告らが原告の意思に反し、その親権に服すべき多美子を連れ去り自己の支配下におくことは、原告の親権の行使を妨げるものとして許されないものというべきである。

右にいう特段の事情とは、先ず、親権者が親権を濫用し又は著しい不行跡であつて親権喪失の宣言を待つまでもなく親権者又は少なくとも監護者として明白に不適格と認められる場合及び親権に服すべき子がその自由意思により親権者のもとを去り、非親権者のもとに滞在していると認められる場合をいうのである。これを更に敷衍すれば、前者に関しては、親権者が真摯に子を監護教育する意思を有し、かつそれが可能であると認められる限り、現に子を支配下においている非親権者と対比し、時間的、経済的ゆとりその他養育環境において仮に親権者の方が劣位にあるからといつてそのことから直ちに子の引渡しを求める親権者の側に親権の濫用があると認めるのは相当ではなく、かかる事情は、家庭裁判所が審判又は調停等の非訟手続において親権者又は監護者変更の申立に対し判断する際の資料として考慮されるべきものである。また、後者、即ち子の自由意思については、その子が弁識能力を有し右能力に基づく判断の結果、自己が親権者のもとを離れて非親権者のもとにある経緯、事情等の概要を知つたうえで、それでもなお非親権者のもとに滞在していることが認められることが必要であり、弁識能力が低く、また、親権者のもとを離れた事情に疎い子が現に滞在している非親権者になついているという外観から直ちに子の自由意思を推断してはならないのである。特に、ようやく学令期に達した程度の子にあつては生活を共にする非親権者である実親から愛情を示されれば、これになつくのは当然であつて(そのことは裏を返せば、子が連れ去られることなく親権者のもとで養育されれば親権者になつくことになる。)、民事訴訟手続における判断にあつてかかる現状を一義的に重視することを許せば、結局、非親権者が親権者から子を引取るに至つた経緯、親権者の意思等は捨象されることとなり、離婚の際、親権者及び監護者を定めた合意を無意味ならしめるものといわざるを得ない。かような現状も前同様家庭裁判所の審判又は調停等の非訟手続による親権者又は監護者変更の申立に対する判断資料として考慮すれば足るものというべきである。

かかる観点から以下において検討を進める。

二  当事者間に争いのない事実と成立に争いのない甲第一ないし第一〇号証、原告及び被告両名の各本人尋問の結果(但し、後記採用しない部分を除く。)によれば、次の事実を認めることができる。

1  原告と被告宏子が夫婦であつた頃、被告正晴は当時の妻と共に、いわゆる団地の一棟である原告の肩書住所地と同じ階段の向い側に居住していた。ところが、被告らは日頃顔を合わせるうちに次第に親密な間柄となり、そのことが主たる原因で、被告正晴は昭和五三年三月頃妻と別居して三郷市内のアパートに単身居住し、被告宏子も同じ頃原告と三人の子を残して実家に帰つていたが、両名は同年六月頃から被告正晴のアパートで同棲するに至り、結局、被告正晴は同年八月当時の妻と協議離婚し、原告と被告宏子は同年一一月一三日協議離婚したうえ、被告らは昭和五四年六月二三日婚姻の届出をした。

原告と被告宏子が離婚するに先立ち、原告及び被告らは話合つた結果、昭和五三年一一月八日前記のとおり原告及び被告宏子は、三人の子の親権者及び監護者を原告と定めることを合意したほか、被告らは、速やかに当時の住居から転居すること、被告宏子は原告に無断で面会、電話その他方法を問わず三人の子と接触しないこと、をそれぞれ原告に対し約したほか、被告正晴は慰藉料として一〇〇万円を原告に対し支払つた。右のように被告らの転居、被告宏子による三人の子に対する無断接触の禁止の合意は、原告が三人の子の親権者及び監護者となることを被告宏子が承諾した以上、同被告が原告が勤務等のため不在中三人の子に近付くことにより子の心を動揺させたり、これを連れ去つたりするなどして原告の親権行使を妨害することがないよう特になされたものであつた。

2  原告は被告宏子と別居後三人の子を単独で養育していたが、勤務のため日中不在であつたり、消防吏員としての職務の性質上週二、三回の宿直勤務のため夜間不在のこともあるため、不在中は必要に応じ原告の姉弟に三人の子の面倒をみることを頼んでいた。

3  被告宏子は前記合意にもかかわらず、右のように宿直勤務の多い原告に子の養育を委ねることに不安を感じ、三人の子を引取ることを望み、昭和五三年一二月頃から被告正晴と共に直接又は実家を通じ原告に対し子の引渡しを求めた。これに対し、当初原告は拒んでいたものの、仲介に立つた被告宏子の両親である高橋夫婦の意向を容れ、昭和五四年三月、三人の子を試験的に被告らに預け、その後の経過をみて今後の子の養育方法を被告らと改めて話合つて決めるとの留保付きで被告宏子の要求を承諾した。

そこで、原告は同年三月下旬に智明を、同年四月初めに多美子及び和明を引渡し、智明は船橋市内の中学校へ、多美子は同市内の小学校(一年生)へいずれも被告らの肩書住所地から通学することとなり、同年四月四日付で智明につき、同月九日付で他の二名につき被告らの肩書住所地への転入手続がそれぞれとられた。

4  ところが同年四月中旬になり、被告正晴は原告に対し、「下の二人(多美子、和明)はいらないから返す。迎えに来てほしい」旨を申入れると共に、同月一六日付で右両名につき原告の肩書住所地への住民票上の転入手続をした。かような被告ら側の態度から、原告としても、三人の子の養育を被告らに委ねることは相当ではないと考え、これを引取り以後自ら三人の子を養育する決心をした。

一方、当時被告らの間では三人の子の養育についての意見が一致しておらず、同月二二日原告が被告宏子と会い引渡しを求めたが、同被告は引続き三人の子を手もとで養育することを希望した。そこで、原告は子供の勉学、転校手続等への影響を考え、一学期終了までは被告らに預け、以後自分が引取り養育する旨の意向を伝えた。

ところが、被告正晴は五月になつて原告に対し電話で子の引取りを要求した。これに対し、原告は、被告らの間で子の養育につき意見がわかれているため被告ら方に出向き万一子の前で口論等になることをおそれ、仲介に入つた高橋を通じて連れてくるよう返答した。同年六月九日に至り、かねてから原告方へ戻ることを望んでいた長男の智明が原告方へ戻され、同月一一日原告住所地へ住民票異動の手続がとられた(以後原告は同人を養育し、自宅から通学区域の中学校へ通学させて現在に至つている。)。その後も原告は、主として高橋を通じて被告らに対し、他の二人の子の引渡しを求めていたが、それが実現されないまま、一学期が終り夏休みを迎えた。

5  そこで、原告は前記4のように被告宏子に伝えた意向どおり、同年七月二五日多美子及び和明を引取るべく被告ら方へ赴く途中たまたま二人が外で遊んでいたので、被告宏子に対し電話で二人を連れ帰る旨を伝え、同被告の確定的な了解のないまま二人を連れ帰つた。すると、その夜、被告正晴から原告に対し抗議の電話があり、同年八月中旬頃の原告の宿直勤務の日に被告らは多美子を連れ去り高橋方へ預けた。その後原告と被告らは多美子の処遇について話合つたが、双方とも引取りを希望して物別れに終つたので、原告は高橋方を訪ね、同人の了解を得て多美子を連れ戻し、三人を群馬県の実姉方に預けた。しかし、このことを知つた被告らは、同月二七日右実姉方に赴き多美子と和明を連れ去つた。

6  原告はその後も被告らと多美子及び和明を自ら養育すべくその引渡しにつき交渉したが、被告らの応ずるところとならなかつたので、昭和五四年一〇月一八日東京家庭裁判所に被告らを相手方として二人の子の引渡しにつき調停の申立をなした。被告らは右調停手続中昭和五五年五月和明を引渡したものの、多美子の引渡しには応じなかつたため、右調停は不調に終つた。原告は前記5により子を連れ去られた後は、弁護士、調停委員等から二人を無理に連れ戻すことをしないよう注意されたので、それに従い多美子の戻る日を待ちながら現在に至つている。

7  原告は前記2のとおり消防吏員であるため日勤のほか週二、三回宿直勤務があるが、その翌日が非番休日であるため、子の養育をすべて他人に委ねなければならない実情になく、その後結婚を考えてもよい女性があらわれ、時折、同人に子の面倒をみることを依頼し、また、近所の住民も原告の家庭事情を知り、原告の不在中原告の子を遊んでくれるなど原告に対し協力的態度を示している。

以上の認定に反する原告及び被告両名の本人尋問の結果は採用することができず、他にこの認定をくつがえすに足る証拠はない。

三1  前記二に限定した事実によれば、原告が多美子を手もとに引取り養育することを真剣に考えているにもかかわらず、その意思に反し、被告らが同人を手もとにおいていることは明らかである。もつとも、前記二3に認定したように、一旦は原告自らが、任意に、被告らに三人の子を引渡したのであるが、それは、被告ら、特に被告宏子の強い希望があつたため、試験的に被告らに三人の子を預け、その経過いかんによつてはなお引続き被告らにその養育を委ねてもよいと考えたことによるもので(かかる心境になつたのは、自己の消防吏員としての夜勤を伴なう変則的な勤務状態を配慮したためと推察される。)、原告が決して親権者及び監護者としての権利及び義務を放棄したものではない。そして、前記二4に認定したように、被告ら側が自らの求めにより三人の子を引取りながら、被告正晴が、昭和五四年四月九日付で自己の住所地へ住民票の異動手続をすませた多美子及び和明につき同月一六日付で原告の住所地へ再び異動手続をとつたうえ、原告に対し右両名の引取りを求めるに及んでから、原告はたとい試験的にせよ被告らに子を養育させることは相当でないと判断し、自ら三人の子を手もとで養育することを決意して、以後被告らに対し三人の子全員の引渡しを求めたもので、原告が右のような判断をしたことにつきこれを不当と非難すべき事由もなく、原告による右引渡請求が単に親権者としての面子にとらわれているとか、被告らに対するいやがらせでないことは明らかである。

この間、原告は一学期終了時まで三人の子を被告ら方におくこととしたが、それは、被告らの間で子の引取りにつき意見の不一致があるのを知り、被告宏子の希望と子の教育面を考慮したことによるものであり、また、原告は被告正晴の子の引取要求に対し、被告宏子の実家である高橋方を通じるよう一見迂遠な回答をしているが、それも前記二4に認定した事情を配慮したものであることによるものであるから、かように原告が即時引取りの態度を示さなかつたからといつて、原告が親権者及び監護者としての権利及び義務を放棄したことにならないことは勿論である。

2  なお、前記二5に認定した原告が多美子(及び和明)を被告らのもとから引取つた手段において全く問題がないではないが、親権者及び監護者である原告が被告らのもとに右両名をおくことを承諾したのは一学期終了までであり、本来被告らは原告に対し右両名を引渡す義務を負う立場にあるのであるから、原告による右引取手段の当否は、その極端な不法性を認むべき証拠のない本件においては、親権者としての適格性を判定する資料となるものではない。

3  前記二2認定のとおり、原告は消防吏員であるため、宿直を伴なう変則勤務状態にあつて、男手のみにより三人の子を養育することは必ずしも容易でないことは推測するに難くないが、原告本人尋問の結果によれば、原告自身かかる境遇にありながら、親権者及び監護者として子を養育する熱意のあることは十分うかがえるし、前記二6認定のとおり協力者もあることであり、更に長男智明が中学三年生となり前記二3及び4に認定した中学一年入学当初の約二か月間を除いては原告のもとにあることに鑑みれば、原告が多美子を含め三人の子をその手もとにおいて養育することは十分に可能であると認めることができる(被告両名の本人尋問の結果によれば、原告は離婚直後病気となつた和明を他の二人の子と共に被告ら方に若干の期間預けたことが認められるが、かかる離婚直後の一現象をとらえて、原告の養育能力を疑うことはもとより相当ではない。)。

他方、被告らについてみれば、前記二4に認定のように当初被告正晴は原告と被告宏子の子三人を養育することにつき反対態度を示していたが、被告両名の本人尋問の結果によれば、その後被告正晴は多美子に対し自らの子と同様の愛情をいだくようになり、その後被告ら間に女子が出生したが、同被告は両名をわけへだてなく育てていることが認められる。かような被告正晴が多美子に対する愛情が永続的なものであるならば、両者の養育環境を比較した場合、或は被告ら側が現時点において男手ひとつの原告側より優位であるとの見方があり得ることは必ずしも否定し得ないが、そのことが直ちに被告らにおいて原告の多美子の引渡請求を拒絶する根拠となり得るものでないことは、前記一に述べたとおりである。

4  次に、多美子の自由意思についてであるが、同人が被告ら方へ一時引渡されたのは少学校へ入学したばかりであり、その後約三年を経過した現時点においても九歳(訴提起当時は七歳)に過ぎず、この程度の年齢の子として、果たして従前の原告と被告らの関係、自己が非親権者である被告らのもとにある経緯をどの程度理解しているか疑問であり、前記一に述べたように、同人が被告らになついているということが直ちに原告の引渡請求を拒み得る事由となるものではない。

5  その他原告に親権者としての適格を疑わしめる濫用又は著しい不行跡を認めるべき証拠もない。

6  以上述べたところによれば、原告が多美子の親権者にして監護者であり、未だその変更につき当事者の合意、家庭裁判所による審判又は調停がなされていない現段階においては、民事訴訟たる原告の被告らに対する多美子の引渡請求は認容せざるを得ない。

四  最後に原告の損害賠償請求について判断する。

既に述べたところによれば、被告らは原告の多美子に対する親権の行使を妨害しているものというべきであるが、被告ら、特に被告宏子は原告の離婚の経緯がどうあつたにせよ、実母としての愛情に駈られて多美子を引取り養育して現在に至つているのであり、被告正晴も当初はいざ知らず現在においては同人に対し愛情を示している。そして、被告らによる多美子の養育が同人の成長に資する面があつたことは否定し得ないであろうし、また、被告らが原告に対し報復を意図し、その他なんらかの苦痛を与えることを積極的に意図して多美子の引渡しを拒んでいるものでないことは前記二に認定した事実経過により明らかなところである。他方、原告が多美子の引渡しを拒まれ、その引渡しを求めるため労苦を重ね、また、同人と同居できないことにより精神的苦痛を被つたことは容易に推察されるところである。しかし、本訴の全経過に照らして原告の心情として看取されることは、何よりも多美子の引渡しを求めることにあるといつても過言ではないのである。以上のような事情をすべて勘案すれば、多美子の引渡請求が認容されることにより、原告の右苦痛は慰藉されたものとみなし、もはや右苦痛に対する損害賠償は請求し得ないものと解するのが相当である。

五  よつて、原告の本訴請求中多美子の引渡しを求める部分は理由があるからこれを認容し、損害賠償を求める部分は理由がないからこれを棄却し、訟訴費用の負担につき民事訴訟法九二条、九三条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例